ヨーガスートラ
パタンジャリ
このヨーガスートラは、ヨギーにとって『聖書』のような存在です。
原文訳を紹介していますが、その意味を読み解き、理解しようとすると大変です。
数年・・いや一生かかるかもしれません。
人によって解釈が微妙に変わるので、
スートラの紡ぐ言葉がどの様に自分自身へ落とし込めるのか、
答えは自分で出すしかありません。
腑に落ちることが出来た時にスートラの理解が深まります。
サイト内でもブログや他のページでも、
ヨーガスートラを用いて私なりの解釈をいれていますので参考にしてみてください。
ヨガスートラ(原文略)
第1章
1これよりヨーガを明細に説く
2心の作用を止滅することが、ヨーガである
3その時、見るもの(自己)は、それ本来の状態にとどまる
(心が静まったとき、人は本来の自分を知ります。
本来の自分は、心、カラダ、感覚そのすべてを見ている存在。
もともと何の制限もない幸せで自由な存在。)
4その他の時は、(自己は)心の様々な作用に同化した形をとっている(のように見える)
5心の作用には五種類あり、
それらは、苦痛に満ちたもの(煩悩せいのもの)、
あるいは苦痛なきもの(非煩悩性のもの)である
6それらは、正知、誤解、言葉による錯覚、睡眠、そして記憶である
7正知のよりどころは、直接的知覚、推理、および聖典の証言である
8誤解は、あるものに対する知識が、その実態に基づいていないとき、起こる
9(基礎となる)実態がなく、単にことばだけを聞いて生ずる心象は、言葉による錯覚である
10無を把握の対象として成り立つ心の作用が、睡眠である
11過去に経験し今も忘れていないものを対象とする作用が意識に戻ってくるとき、それが記憶である
12これらの心の作用は修習と離欲によって止滅される
13これら二者のうち、心に不動の状態をもたらそうとする努力が、修習である
14修習は、長い間、休みなく、大いなる真剣をもって励まされるならば、賢固な基礎を持つものとなる
15見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が離欲(無頓着)である
16プルシャ(真の自己)の悟得によってグナ(自然の構成要素)に対してさえ渇望なくなったとき、そらが至上の離欲である
17サムプラジュニャータ・サマーディ(区別のある三昧)(有想三昧)には、論証性、反射、歓喜、および純粋な我-性(我想)が伴う
18心の作用の完全停止が確固不抜に修められることによって、後に残るのは印象(サンスカーラ、行)のみとなる。これがいま一つのサマーディ(アサムプラジュヤータ・サマーディ、区別なき三昧)(無想三昧)である
19単に物質的身体を去って天界の神格たる状態んじ至った物、あるいは自然(自性)に投入したものには、再生がある
20その他のもの(ヨギーたち)は、堅信、努力、念想、三昧、叡知を通して、このアサムプラジュニャータ・サマーディを得ることができる
21強い情熱をもって修練するものには、これ(アサムプラジュニャータ・サマーディ)は非常に速やかに来る
22成功のために要する時間はさらにまた、その修練が穏和であるか、中位であるか、非常に熱烈であるかによって、異なる
23神(イーシュヴァラ)への完全な帰依によっても(サマーディは)達成される
24イーシュヴァラとは、いかなる苦悩(煩悩)、行為(業)、
行為の結果(業報)、欲望の内的印象(業依存)によっても染められていない無常のプルシャである
25波の中には、一切知の種子が完全に備わっている
26彼は、時間によって制限されないがゆえに、太古の師たちにとってさえも、師である
27イーシュヴァラをことばであらわしたものが、神秘音オームである
28意味を熟慮しつつ、それを反復誦唱するがよい
29これを修することにより、すべての障害が消え、同時に内なる自己の知が明け染める
30病気、無気力、猜疑、散漫、好色、妄見、不動の境地に至りえない状態、獲得した地歩からの滑落ーこれらの心の散動が、その障害である
31心の散動に随伴して起きるものに、苦悩、失意、身体の震え、乱れた呼吸がある
32一つの対象に集中して修練を行う(あるいは、
一つの技術を用いる)ことが、傷害とその不随物を防ぐ最良の方法である
33他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(非)、
他の有徳をよろこび(喜)不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れ泣き静澄を保つ
34あるいは静澄は、息の制御された排出、または保留によっても保たれる
35あるいは微細な感覚的知覚に対する集中が、心の不動をもたらす
36あるいは、永遠の至福に満ちた、内なる無常の光に集中することによって
37あるいは、感覚対象への執着を離れた聖者の心に集中することによって
38あるいは、夢や深い眠りの中で得られる体験に集中することによって
39あるいは、なんでもココロを高揚させるようなものを選び、それに瞑想することによって
40集中の習得は次第に拡大して、根源的原子から最も巨大なものにまで及ぶ
41自然の透明な水晶がかたらわらに置かれたものの色や形をとるように、作用が完全に衰微したヨギーの心は、澄明・静然となって、知るものと知られるものと知と区別のつかない状態に達する。この瞑想の極点がサマーディ(三昧)である
42名称と形態、およびそれらに関する知識が混入しているサマーディが、サヴィタルカ・サマーディすなわち思慮を伴うサマーディ(有尋三昧)と呼ばれる
43記憶が十分に浄化されると、名称と属性の境界がなくなり、手中の対象の知が一人輝き出る。これがニルヴィタルカ・サマーディすなわち思慮を伴わないサマーディ(無尋三昧)である
44同様にして、精微な対象について修されるところの、サヴィチャーラ・サマーディ(反射を伴うサマーディ)(有伺三昧)とニルヴィチャーラ・サマーディ(超サマーディすなわち反射を伴わないサマーディ)(無伺三昧)は説明される
45精微さは、集中対象として存在しなくなり、ただ定義しあたわざるものに帰着する
46以上がサビージャ・サマーディ(有種子三昧)であり、そこにはまだ修行者を束縛や心的動揺に引き戻す可能性が残っている
47ニルヴィチャーラ・サマーディが純粋となったとき、至高の自己は輝く
48これがリタムバラー・プラジュニャー、すなわち絶対的な真理意識である
49この特殊な真理認識は、聞いたり、聖典からまなんだり、推理したりして得られる知とは、完全に異なっている
50このサマーディによって生ずる印象(サンスカーラ、行)は、他のすべての印象を消す
51個の印象さえも拭い去られるとき、あらゆる印象が完全に消滅して、そこにはニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)がある
第2章
1浄化を助けるものとして苦痛を受け入れること、霊的な書物を研究すること、至高の存在に身をゆだねることが、実行のヨーガである
2それらは、障害(煩悩)を最小にして、サマーディを達成させる
3無知、我想、執着、憎悪、生命欲が、五つの障害である
4無知(無明)は、それに続く他の諸障害ーそれらは、①休眠状態であったり、②弱体化していたり、③遮断されていたり、④維持されていたりするがーの田地である
5無知とは、無常を常、不浄を浄、苦を楽、自己ならざるものを自己とみなすことである
6我想(アスミター)とは、いわば、見るもの(プルシャ)の力とみる器官(心身)の力と同一視である
7執着とは、快楽体験との同一視からくるものである
8憎悪とは、苦体験との同一視からくるものである
9生命欲とは、(過去の経験からくる)独特の潜勢力から発し、賢人にさえもある
10これらの障害が微妙な状態にあるときは、始源の原因(自我)に還元することによって破壊することができる
11それらが活動の状態にあれば、瞑想によって破壊することができる
12カルマ(行為とその反作用)(業)の子宮の根は、これらの障害の中にあり、そうしたカルマが、見える生(現世)および見えざる生(来世)における諸経験を引き起こす
13原因が存在する限り、その結実すなわち、さまざまな生類への再生と寿命と経験がある
14カルマは、善業に起因するものは楽、悪業に起因するものは苦として結実する(業報)する
15得たものを失うことへの恐怖と懸念、結果としての心の中に残り新たな切望を引き起こす印象、心を支配する3つのグナの絶えざる相克ーこれらにかんがみるととき、識別のある者にとっては実にあらゆるものが苦である
16未来の苦は、回避することができる
17その、避けえる苦の原因は、見るもの(プルシャ)と見られるもの(プラクリティ自然)の結合である
18見られるものは、照明・活動・惰性という3つのグナの性向を備え、元素(5大)と感覚器官から成り立っているが、その目的とするところは、プルシャに経験と解放(解脱)を与えることである
(世界、カラダ・感覚・心、様々な体験は、経験の中心にいる本来の自分のためにあります。どんな経験も自由になれるというゴールを達成するためにあるのです。)
19グナの段階には、特殊のもの、特殊でないもの、定義されるもの、定義されえないもののの4つがある
20見るものとは、見る力そのものであり、それ自体は純粋だが、心を通じてみるという現れ方をする
21見られるものは、見る者のためにのみ存在する
22それ(見られるもの)は解脱したもの二とっては破壊されているが、他の者にとっては共有材として存在している
23所有するもの(プルシャ)と所有されるもの(プラクリティ)の結合が、それらの両者が各自の本性と力(シャクティ)を把握する原因である
24この結合の原因は、無知(無明)である
25この無知がなければ、そのような結合もおこらない。それが見えるものの独存位である
26途切れることのない明敏な識別が、その除去の方法である
27最終段階の智は、7重である。人は①もっと知りたいという願望、②何かを遠ざけておきたい願望、③何かを得たいという願望、④何かをしたいという願望、⑤悲しみ、⑥恐れ⑦惑わし7つが終息するのを体験する
28ヨーガの諸支分を修練していくことによって次第に不純がきえ、そこに明敏なる識別へと導く智が明け初める
29以下がヨーガの八支分である。①ヤマ②ニヤマ③アーサナ④プラーナーヤーマ⑤プラティアーハーラ⑥ダーラーナ⑦ディヤーナ⑧サマーディ
30ヤマは、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貧よりなる
31これらの大警戒は普遍的なものであり、階層・場所・時間・環境等によって制約されない
32ニヤマは、清浄・知足・苦行・読誦・自在神への祈念よりなる
33否定的想念によってかく乱されたときは、反対のものが想念されるべきである。それがプラディパクシャ・バーヴァナである
34暴力等のような否定的想念または行為が引き起こされたとき、あるいはたとえそれが容認されただけであっても、そしてそれらが貧欲・怒り・迷妄のいずれによってあおられたものであっても、またそれが穏和・中位・過激のいずれの度合いによってなされようとも、それらは無知にねざしており、確かな苦をもたらすものである。このように省察することも、プラティパクシャ・バーヴァナである
35非暴力に徹したもののそばでは、すべての敵対がやむ
36正直に徹したものには、行為とその結果が付き従う
37不盗に徹してもののところには、あらゆる富が集まる
38禁欲に徹するものは、精力を得る
39不貧がゆるぎないものとなったとき、自らの生の原因と様態が余すところなく照らしだされる
40浄化によって、自分自身の身体へのいとわしさ、他人の身体にふれることのいとわしさが生ずる
41さらに、サットヴァの浄化、心の愉悦、一点集中、自己実現への適合性を得る
42知足によって、無上の喜びが得られる
43苦行によって、身体と感覚の不浄が消え、超自然力がえられる
44霊的な書物を研究することによって、自らの望む神霊との霊交がえられる
45神にすべてを任せることによって、サマーディは達成される
46アーサナは、快適で安定したのでなければならない
47自然な性向である落ち着きのなさを減じ、無限なるものに瞑想することによって、坐位は習得される
48以後はそのものは、二元性によって乱されることがない
49それ(坐位)が得られたならば、呼気と吸気が制御されねばならない。これがプラーナーヤーマ(調気)である
50気息のはたらきは、内部的・制止的のいずれかである。それらは時間と空間と数によって規定され、長・短のいずれかである
51プラーナーヤーマには、内的なあるいは対象に集中しているときにおこる、第4の型がある
52その結果、内なる光を覆い隠していたヴェールが破壊される
53そして、心がダーラナー(集中)への適性を得る
54諸感覚がその対象から自らを撤退させ、いわば心そのものを模倣するときーそれがプラディアーハーラである
55それにより、感官に対する無上の統制を得る
第3章
1集中とは、心を一つの場所、対象、あるいは観念に縛り付けておくことである
2瞑想とは、そうした対象への認識作用の絶えまない流れである
3三昧とは、この瞑想そのものを失ったものが形を失ったかのようになり、その対象がひとり輝くときのことである
4同一の対象についてこれらの三者(集中、瞑想、三昧)をなすことが、サンヤマと呼ばれる
5サンヤマの修了によって、知の光が生まれる
6サンヤマは、段階的になされるべきである
7これらの3支は、それ以前の5支よりも内的である
8これら3支さえも、無種子三昧にとっては外的である
9生起してくる印象(サンスカーラ、雑念)は
それに代わる新たな心の作用を生むところの抑止の努力の出現によって、
死滅される。この、新たな作用と心の結合の刹那が、ニローダ・パリナーマ(死滅転変)である
10ニローダ・パリナーマの維持状態は、習慣づけによって確実となる
11心の散動が減衰して一点集中が実現してくると、サマーディ・パリナーマ(サマーディへの進展)(三昧転変)があらわれる
12また、過去となって引いていく想念を今まさに生起しつつある想念が等位であるならば、それがエーカーグラター・パリナーマ)(一点集中)(専念変転)である
13これ(以上の3つのスートラ)によって、物質元素と感官に関する、可視的特性と時間的位相と状態の転変も説明された
14本性的に潜伏・生起・非顕現の諸相を経ていくのは、根底体(プラクリティ)である
15それらの諸相の連続が、進化(転変)に諸段階の存在する理由である
16進化のその3段階にサンヤマ(綜制)をせっすことによって、過去と未来についての知が生まれる
17通常は、語と、その意味と、その語の表象内とを混同するために、混乱が生ずる。いかなる生類により発せられた語(あるいは音)でも、それにサンヤマを施すことによって、その意味を知ることができる
18サンマやによって自らの心的印象を直感することにより、前生についての知識が得られる
19他人の身体の区別的特徴にサンヤマを施すことによって、その人の想念を知ることができる
20だがそれは、その人の心の中でその想念を支えているものにまでは及ばない。それはそのサンヤマの対象とはならないからである
21自らの身体の形態にサンヤマを施すと、観察者の眼の光を遮ることによって知覚の力に干渉し、身体を見えなくすることができる
22同様にして、音その他の(蝕、味、香)の消失も説明される
23カルマには、速やかに発現するものと徐々に発現するものと2種類がある。それらあるいは死の前兆にサンヤマを施すことによって、死期を知ることができる
24慈その他の徳性にサンヤマを施すことによって、それらを発する力を得る
25象その他の動物の力にサンヤマを施すことによって、それらの力を得ることができる
26内なる光へのサンヤマによって、微細なもの、秘匿されたもの、遠方のものを知ることができる
27太陽にサンヤマを施すことによって、太陽系全体を知ることができる
28月にサンヤマを施すことによって、星の配置を知ることができる
29北極星にサンヤマを施すことによって、星の運行を知ることができる
30へその神経叢にサンヤマを施すことによって、身体の構造を知ることができる
31喉のくぼみにサンヤマを施せば、飢えと渇きが止まる
32クールマ・ナーディにサンヤマを施すことによって、瞑想の座位の不動性が達成される
33脳天の光(サハスラーラ・チャクラ)にサンヤマを施すことによって、神人達を見ることができる
34また、自然い発露する知のなかで、すべての力はおのずから現れる
35心臓にサンヤマをなすならば、心を知ることができる
36知性とプルシャとはまっく別のものであり、知性がうプルシャのために存在するのに対して、プルシャはそれ自身のために存在する。これを峻別しないこところに経験のすべてがあるのであって、この区別にサンヤマを行うことによって、プルシャの知が現れる
37この知より、任意の直感による超自然現象的聴覚・触覚・視覚・味覚・臭覚が生じる
38これらは、サマーディにとっては障害であるが、世俗的追求にあってはシッディ(力、霊能)である
39(心を身体に縛り付けている)原因を緩めることによって、また、心の動きの筋道を知ることによって、他人の身体に侵入することができる
40ウダーナ気(上向きの生命の気)を支配することによって、水、沼沢、刺などの上を浮揚することができる
41サマーナ気(均等化の気)を支配することによって、身体が光輝に包まれる
42耳と虚空との関係にサンヤマをなすことによって、超常的な聴覚があらわれる
43身体と虚空との関係にサンヤマをなすことによって、綿の繊維のように軽くなり、かくして虚空を飛ぶことができる
44身体の外にあって確認されない想念波動に対してサンヤマを施すことによって、自己の光を覆うヴェールが破壊される
45粗大及び微細な元素、それらの本質、相関性、合目的性にサンヤマを施すことによって、それらの元素に対する支配が得られる
46それにより、アニマその他のシッディがもたらされ、身体の完成が遂げられて、その機能が諸元素の影響による妨げを受けなくなる
47端麗、優雅、強靭、金剛石のごとき賢固さが、身体の完成である
48諸感覚の把握作用、それらの本音、それらの目的と我想との関係にサンヤマを施すことによって、諸感官に対する支配が得られる
49それより身体は、心と同じ速さで動く力、感官の補助なしに機能する力、そして根本原理に対する完全な支配を得る
50サットヴァと自己との差異を認識することによって、存在のあらゆる機能に対する至上位(全能)-それは全知であるーを得る
51それに対してさえ無執着であることにより、束縛の種子が破壊され、かくしてカイヴァリャ(独存)の状態が顕現する
52ヨーギーは、天人からの称賛といえどもこれを受容するべきではなく、慢心の微笑みさえ浮かべるべきではない。再び望ましくないものに捕捉される恐れがあるからである
53連続する刹那のまさしく一つにサンヤマを施すことによって、識別知が現れる
54かくして、種類、特性、位置などが酷似しているために身分けのつかないものが、識別されるようになる
55すべての対象のあらゆるありかたを同時的に理解するその識別知が、解脱をもたらすところの直感知である
56静穏な心の清浄さが、自己のそれと等しくなるに至ったときーそこにカイヴァリャ(絶対、独存位)がある
第4章
1シッディは、生前においてなされた修行、あるいは薬草、
あるいはマントラ、あるいは苦行、あるいはサマーディによってもたらされる
2一つの生類から他の生類への転変は、自然の流入によって引き起こされる
3付帯的事実は、直接には自然の進化を引き起こすものではない。それらは、農夫のように、障害物を取り除くだけである
4ヨーギーの我想のみが、発現する心の原因である
5発言した多くの心の働きはさまざまだが、大元であるヨーギーの心は、それらすべてに対する命令者である
6瞑想から生じたものだけが、カルマの刻印を免れている
7ヨーギーの行為は白くも黒くもない。しかし他のものの行為には、善と悪、そしてそれらのまじりあったものの3種類がある
8これらの(行為)のうち、結実のための好条件がそろったヴァーサナ(潜在記憶)だけが、特定の生において発現する
9欲望とその成就は、類・空間・時間によって隔てられているが、それらには連続性がある(欲望の)印象と(欲望の)記憶とは、同一だからである
10生命欲は永遠であるが、印象もまた無始である
11印象は、原因・結果・基盤・支持によって成立しているので、それらの4者の消滅にともない、これらも消える
12過去と未来は、位相差のゆえにそのような特性をもって現出しているところの、事象そのもののうちにある
13顕現の状態であれ精微な状態であれ、それらの特性はグナ性のものである
14事実の自己同一性は、グナの転変の一律性にもとづく
15客体は同一であっても、それを受け止める心がさまざまであるから、認識はさまざまにな異なるのである
16また、客体の存在は、ただ一つのここに依存しているのではない。もしもそうであるならば、その一つのこころがそれを認識しない場合、その客体はどうなるのか?
17客体は、心がそれによって染められるか否かによって、その存在が知られたり知られなかったりする
18心の作用は、その主であるプルシャには常に知られている。プルシャは不変だだからである
19心は自らかがやくものではない。それはプルシャに知覚される客体だからである
20こころは、主・客を同時に知覚することはできない
21もし、一つの心がもう一つの心によって知覚されるということがあり得るとするならば、それらは数限りなくあることになって、結果として記憶の混乱が生ずるのである
22プルシャの意味は不変である。その像を映すことによって、心は自己に気づく
23心は見るものと見られるものの両方から染められることによって、あらゆるものを理解する
24無数の欲望を持ってはいるが、心は他者(プルシャ)のために存在するのである。それ(心)はプルシャと連合して初めて機能することができるからである
25心とアートマン(自己)の区別を知るものは、心をアートマンと考えることが永遠に止む
26その時、心は識別の方へと傾き、絶対にひきよせられる
27この間隙にも、過去の印象からくる雑念が生じることはある
28それらは、前述の諸障害の除去と同様の方法によって、除去することができる
29完全なる識別によって最も高い報償に対してさえ全く無欲となったものは、不断の、明敏なる識別のうちにとどまるものであり、それはダルマメガー・サマーディと呼ばれる境地である
30そのサマーディによって、すべての苦悩とカルマはしゅうそくする
31かくて、知のすべての覆いと汚れが完全に取り除かれる。この知は無限であるから、なおも知られるべきものはほとんどない
32そのとき、3つのグナはその目的を遂げたので、転変の継起を終える
33継起とは、刹那の不可分の連続のことである。そしてその刹那は、その転変の終極においてはじめて把握される
34かくして、もはやプルシャに仕えるという目的はなくなた3つのグナはプラクリティに還入し、かの無上なる独存の環境があらわれる。それは、純粋たる意識の力が自らの純粋な本性のうちに安住することだといってもよい
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参考文献
☆インテグラル・ヨーガ:パタンジャリのヨガスートラより抜粋、参考)/yogini向井田みお著
☆インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガスートラ /スワミ・サッチーダナンダ著
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