sarada yoshiko/父の死 - studio-sarada プライベートヨガ専用スタジオ 横浜市神奈川区
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『自立と自律を軸に自由を得る』伝統的な ヨーガと瞑想を実践しながら伝えています。ヨーガと出会った日から人生も変わる!
2023-03-10

sarada yoshiko/父の死


父の死と向き合う

saradayoshiko父の死

 

 

2/21~2/27 

違和感を感じる日々。

この期間は、実はわたしにとっては国家資格の試験目前です。

毎日、猛勉強に励んでいる時期。

sarada yoshiko試験前日

 

 

 

 

 

 

人生とは実に面白い!と思います。

通常では理解できないこと、

ざわざわしてくる止まらない直感、

全ての出来事を受け止めるための冷静さ、

そして霊感と繋がるリアルな体験の数々。。

 

霊性をフルで受け取り、

三つ目とも言われるアジュナチャクラを日々全開にして、

本当に不思議だけど、でも現実に起きた出来事を綴ります。

今回の内容は、プライベートで起きたことになります。

またヨーガの霊性さをより深めた体験にも繋がりました。

自分でも霊感が上がったと感じます。

 

 

少し(かなり)長くなりそうなので、

興味を持っていただいた方は、

このまま読み進めて頂けると幸いです。

 

 

 


いつもと変わらない日常なのに・・・

2/21~2/27 

違和感を感じた期間。

 

あれ?部屋に誰かいる??

部屋の隅々が気になる・・・・・。

部屋中に鳴るラップ音。

やたら父がどうしているのか気になるざわざわ感。

試験が終わったらすぐに連絡しよう!

まだ今年は受験も盛りになり、年始の挨拶を先延ばしにしていました。

悶々としながら勉強をしていました。

時折気になるラップ音に関しては、

かつて感じたことのないほどの種類に驚きました。

バキ!(部屋の片隅から)

コトコト!

タタタ!

 

猫がいるのかな?と感じるくらい。

更に野良ネコ?が庭先から窓に向かって鳴いている日もありました。

あれ、今までそんなことは無かったのに・・。

 

この期間はとにかく気になってあれこれと眠れない数日にもなっていました。

何だろう・・・。

 

大切な期間でもあったので、

それらのラップ音や不可解なことも出来るだけ気にせずに、

睡眠確保と勉強に全集中するためのメンタルコントロールに徹していました。

 

明日も学校で勉強だ!

気になるけどもう寝よう!

 

 

 


妹から突然の連絡

2/28 朝9:00

管理会社から安否確認の依頼があったそうです。

妹の泣きそうな電話で、、ピンときました。

あーやっぱり。

『オト―(父親の愛称)と連絡が取れない!』

 

さてこれから今日の勉強の目標を立てて、

一日をどれだけ乗り切るか・・・

一瞬で私のスケジュールは変わりました。

学校にいた私は、直ぐに主人にもお願いして、

妹の応援をしてもらうようにお願いしました。

 

 

2/28 10:00~11:00

自宅からも差ほど遠くはないので、

主人が仕事をとりあえず保留にして妹の元へ。

わたしも学校から出る準備をあれこれしていました。

部屋の様子では、全ての電気が使用されたまま、

トイレのドアもどうやら開けっ放しの様子で、

玄関先で倒れているところを発見されました。

今どきの孤独死。

 

 

警察の検証へ引き渡され、

死因が確定されてから遺族に連絡が来ます。

こんな状況下で死と向き合ったのは、

家族みんなが初めてでした。

どうしていいのかわからない状態です。

 

これが突然のオト―の死、

そして受験3日前の出来事でした。

 

私自身が感じたことは、

なるほど!ものすごいビックなプレゼント!

今までにない大きな津波が来た、、、

さてどう対処していこうか。

あれこれ策を講じていました。

3日間、どう過ごす??

 

 

 

一緒に歩んだ受験仲間や先生たちの顔が一気に浮かびます。

先ずは今の現状を伝えること。

1~2日間は、みんなと勉強できないけど、

オト―の為に出来る事をしよう!

それから家族や妹に頼れる柔軟性をもつ。

 

 

あれこれの準備を済ませて、

オト―の自宅へ駆けつけると、

オカ―(母親の愛称)も来ていました。

実は、父と母は嫌いで離婚したのではなかったのですが、、

悲しい事に死のお知らせが10年ぶりの再会となってしまいました。

 

この日、母もいつもより仕事を切り上げることができて、

そのタイミングで妹からの悲しい知らせが来ていたようです。

 

 

午後から家族会議と葬儀屋さんへ連絡。

残された家族で父の葬儀の準備をしていく、、。

忙しくてあまり記憶にない状態ですが、

学校にもかろうじて勉強道具を持ち出し、

受験勉強を変わらずにしていたと思います。

ただこんな状況だと、先日までのイケイケ状態ではないので、

しっかり一日分のお休みをして、

家族と葬儀の準備をすることにしました。

試験勉強するにもこれが一番良いな、と感じたからです。

 

少しでも家族を応援しよう!

そんなことを考えていました。

 

 

 


葬儀屋さんと打ち合わせ

2/29 11:30~ 

検死では死因は脳出血です。

多分そうでしょう。

※ちょっと他に疑わしいこともあったので一応、

脳出血死としておきます

 

 

葬儀屋を囲み、家族と共に、

オト―にとってどんな葬儀が良いのか。。

みんなで考えていました。

元々、自営業で父と母は人生を共にしてきたので、

父のことは母が一番良く知っています。

ただ離婚後の10年は、

一度も顔を合わせることなく過ごしていたので、

いきなりオト―の身辺整理をするといっても、

オカ―もかなり困惑していました。

もう忘れちゃったこともあるしね、、、と言っていました。

(今こそ思い出すのだ!)

 

 

紙切れでは語れない、図れない!

そう感じたのもこの期間です。

離婚はしていたけど、今も夫婦かのように、

周りが導くものなんですよね。

 

 

オト―がかれこれ50年以上もお世話になった会社関係の方が、

私たちの元を訪れました。

父と母の仲人さんでもある会長さんが、

息子を使って伝言しにきたのです。

 

葬儀屋さんと家族葬で決定しようとしていたころ、

息子さんのちょっとまった!が入ってきたのです。

ん・?

何ですと??

 

 

オト―が実の父のように慕った会長さん。

会社の大先輩であり、

独立してからは、

たくさん仕事のサポートも受けてきたのでしょう。

昭和の時代なので、師弟子関係といいますか、、

何だか深い情を感じました。

 

伝言内容は、

会社の関係者に向けて葬儀をしてほしい!

しっかりお別れをさせてほしい!

との依頼がきたのです。

資金は会社で持ちます!

 

しかも、その息子も男泣きをしてお願いするではありませんか。。

 

何ですと??

 

 

 

 

自分たちの出来る範囲でどこまで葬儀が可能なのか、

会社の好意に甘えずに考えてるので、

プランの変更をすべきか・・かなり悩みました。

 

私には弟が島根県にいるのですが、

弟もオト―の死を聞き、

亡骸と残された家具一式を引き取りにくる、

というので、到着してから決めていくように保留。

 

 

何だか色々なことが起こり、

まさかの待った!が入ったり、

 

はじめての葬儀準備にも困惑し、

多少の意見のすれ違いも起きました。

久しぶりに一日でたくさんの感情に揺さぶられていました。

 

 

ヨーガ的に霊性に。

常に我を忘れないように、

ヨーガを活かしている自分がいます。

 

全ては喪主の弟に任せる。

文句は言うまい。

起きたことを全て受け止める。

これが私の決意です。

 

 

 

 

父の納棺の日

3/1 13:30~

午前はいつもと変わらず学校で猛勉強し、

午後からは数時間ほど抜けて、

オト―の面会と納棺に行きました。

 

やっと初対面と納棺です。

死の発覚から2日後のことです。

納棺に着せる服には、オカーが選びとても満足そうでした。

(なんで離婚したのかな~??いつも思います)

 

 

正直、自分の父親が亡くなるにはまだ若すぎる年齢だと思います。

でも父は納得して時を迎えていたように思いました。

いつものように暮らしていた痕跡がたくさんありましたから。

 

 

神様はここまでがあなたの寿命ですよ!

と言わんばかりに、

突然その瞬間はやってくるんですね。

死に顔は穏やかで、

オカ―も納棺に立ち会いました。

一番、作業をしていたように思います。

 

きっと幸せだったのでしょう。

納棺の最中も、オカ―はオト―に話しかけながら、

ずっと手を離さなかったのが印象的です。

葬儀の時、大丈夫かな、、、と感じたくらいです。

 

生前、私はよく父に母のことを話すことがあり、

その都度、父の反応を確認してたりしました。

結局どちらも頑固で、

一度決めたことは曲げない性格なようです。

なかなか自分を曲げて素直にはなれなかったのでしょう。

(なんで離婚したのかな~??いつも思います)

 

 

3/2  午前

島根から弟も無事にオト―宅に到着しました。

大きなワゴンでやってきて、

父親の荷物は全て田舎に持ち帰る、

と母に伝えていたそうです。

きっと田舎でじっくり整理するのでしょう。

島根は父親の故郷であり、

代々のお墓もあります。

ここ数年ですが、弟が田舎の地で農業をはじめ、

すっかり島根県民になっていました。

ちょっと前は北海道に暮らし、

15年ほどは住み木こりとしていたので、

島根に戻ったと聞いた時は、

あれ?と感じました。

 

 

余談ですが、

弟の言葉でちょっと笑ってしまったのが、

『おやじ、死ぬ予定もなかったのに、しくったな!

神様に打ち止めされたな。』

 

弟は霊感が非常に強く、

幼い時から三つ目をもっていたようです。

つまり予知もできるような感じです。

 

またつい最近、

島根で父親の気配を感じたというのです。

 

実はそのころ、

わたしもあれこれラップ音を感じていた時期なんです。

 

 

父親の匂い、音、気配。

これで父の全てを悟ったそうです。

 

連絡はそのうちに来るだろうから、

横浜へ向かう準備を始めていたと言っていました。

確かに到着も早かったです。

 

霊感と霊性は電話よりも早いお知らせです。

霊感と霊性さをもつと、

家族の色々なことが解ります。

知りたくないことも解ってしまうかもしれませんが、

わたしも以前より少し強くなった気がします。

 

 

 

常に良い霊感を持つこと、

正しく自分をコントロールすることは、

ヨーガの教えでもたくさんあります。

改めて霊性というものを学び実感しました。

 

 

 

 

父の葬儀は3/7~3/8

葬儀の段取りが進み、

日にちが整い、

後は国家試験を無事に終えること。

少しずつですが前進しています。

 

 

 

 

 

お通夜~告別式

3/7~3/8

コロナ禍で対面でのお別れをさせていただけることも、

きっとオト―の人徳なのでしょう。

家庭では、亭主関白で貫いていました。

ところが、会社関係の方との間では、

あだ名がチョロと言われたり、

ひょうきんで少年のような印章だというのです。

 

ん??

そうなの??

 

エピソードを聞くと非常に知らない姿が多く、

オト―の一面を知る切っ掛けとなりました。

 

そして、今回この葬儀という形に運んでくれた会長さんからの弔辞では、

オト―の人生をそのまま語り、

人柄を深く知ることになりました。

 

 

こんな素敵な機会をくださった会社の方々に、

少しでもオト―とのお別れの助けになるように、

メモリアルアルバムを急ぎ作成しました。

会長の弔辞が、このメモリアルアルバムに内容が合わさっているので、

非常に驚いたのですが、、、。

オト―の霊性がリンクしたのでしょうか。

何故か選んだ写真のエピソードばかりなのです。

私にはわからない、若い頃の写真ですが、

会長との出会いは、

田舎から出てきた20歳のころ。

この写真も何となく使いました。

オカ―とはまだ出会ってない時代だそうです。

(知らなかった~)

昭和の50年代と言えば、

社員旅行も羽振りが良く海外も多かったそうです。

その時の写真も選んでいました。

 

 

オト―は私の感性を頼って、

写真を選んでいたのでしょう。

実は事前に、父親に何をしてほしいのか?

と尋ねながら作成していたので、

いわゆるオト―とのコラボ作品です(笑)

会社の方々の懐かしそうな表情をみると、

頑張って作成して良かった!と思いました。

(やったね!)

 

 

 

いつしか憎んだこともある家族の因縁、

苦しかったころが晴れ晴れとして、

人生とは終わってみないと解らないこともあるんだな、

そんな深い学びをさせていただいた葬儀にもなりました。

 

結局、両親は離婚していても、

想いは繋がったままだったのだ、

と言う事もわかりました。

 

告別式の最後では、

オカ―はオト―のお棺を抱き抱えて大泣きしていました。

こんなに泣いた姿をみたことない。

祖母が亡くなった時より大号泣でした(笑)

気絶してしまうのではなかと、

こちらがひやひやするほどです。

(なんで離婚したのかな~??最後でも思いました)

 

結婚とは?

別れとは?

霊性とは?

 

生きる事とは?

 

 

非常に多くの学びと、

これまで疑問だったこともスッキリしたのを感じました。

 

私はこのメンバーが家族で良かったんだ!

と気持ちが一つになり、

同時に父もさっさと成仏しているようなそんな気がしました。

成仏、早!

と思うくらい、、

なんかスッキリしてそうです。

 

 

葬儀後、

弟は遺骨をもって田舎へ出発しました。

オト―はさっさと田舎へ行ってしまいますが、

祈りや瞑想で通じる事はたくさんできます。

 

49日までは弟に任せ、

今度は島根の地へ行くつもりです。

納骨と共に、ご先祖様への挨拶もしたいからです。

 

 

 

 

 

これからのこと

実は、我が家はとても複雑な家系で、

因縁ともいえるような、

未解決の親族問題もいくつかあります。

(やだよ~)

 

その因縁とは長男にまつわる内容がほとんどですが、、

他に田舎の面倒を引き継ぎたい長男はおらず、

(でしょうね、、、)

 

因縁のバトンは、

父から弟(長男)へ受け継がれていきました。

 

父の死と共に、一気に動き出す先祖との繋がり。

直感で理解する弟の決断やこれからのこと。

もう田舎で詮索をしているようですが、、動きが速いです。

 

 

オト―の葬儀によって、

いままで動かずにいたものが、

大きく動きだす予感もします。

そして弟は霊感の強い三つ目の小僧です。

 

きっと大丈夫だ!

(三つ目だから)

わたしも横浜から応援パワーを送りたいと思います。

 

因縁は人の欲が作ったものです。

それを解き明かせば、

みんな先祖も含めて幸せになれるはずなんです。

 

こんなつまらない因縁は早く終わりにして、

本来の穏やかで優しい先祖さまとの絆を守れたらと思います。

 

 

 

ヨーガを深めて良かったことは、

オト―の力になれたこと。

これはわたしにとっても大きな体験でした。

ヨーガは霊性の世界です。

その一方では健康的に体を動かすポーズもたくさんあります。

シルシャーサナとかもそうですね!

 

三つ目、霊感はどんな人にも備わっているものです。

弟はもともと使える状態で生まれましたが、

訓練次第で、誰でもいつでも開花します。

 

ヨーガを深めることは、遠回りではないと思います。

今回のとてつもなく大きな波の渦中では、

霊感・霊性に振り回されるのではなく、

自分でコントロールする感覚がつかめた、と言う事でした。

いつでも使えるものではないと思いますが、

必要な時に必要な魂と繋がり、

役立つことができるのは、魂の繋がりそのものでした。

 

 

いままでの感謝と最後に役立てたこと、

見えない形での親孝行になったかな!

オト―、ありがとう!

 

 

 

ココロもカラダも元気にして、ごきげんな人生を歩めるようにしましょう♪
sarada yoshiko

 

 

 

 

 

 

 

《💡この記事のまとめ》

・父の死

・アジュナチャクラと三つ目

・霊的に生きる意味

・あなたのペースを大切に

・sarada yoshikoと楽しく学ぶ

 

 

 

 

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